カルチャー
2016.07.11(Mon)

【伝統工芸品】700年以上続く歴史!一生モノの博多鋏

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福岡は、太古から九州の玄関口として、大陸からの技術が多く伝わる土地として様々な工芸品が発展していました。その中でも博多織は有名ですね。では、博多に伝わる鋏(ハサミ)の技術はご存知ですか?今回は博多に伝わる伝統技術、博多鋏をご紹介します。

 

そもそもの「鋏」というものを振り返る

紙を切るとき、裁縫のときなど、様々な技術が発展する現代でも鋏は私たちの生活の中から切り離せないモノとして私たちの生活に溶け込んでいます。 あまりに身近すぎて言葉にして説明するのも難しいかもしれません。

文房具や理髪用、生花用など、鋏には用途やそれに応じた形、大きさが無数にあります。その歴史は古く、最古のものは5000年ほども前に遡ります。5000年前といえば、エジプトでピラミッドが造設されていた時代。刃物の進化系として使用されていた鋏は、中国大陸を超え、6世紀頃に日本に伝えられたと言われます。日本では職人を中心に人気を博し、室町時代に流行った「生け花」をきっかけして、数ある種類の鋏の中でも「花鋏」が普及することとなります。そして、その「花鋏」のうち、中国から渡来した「唐鋏」の流れを継ぐのが、「博多鋏」と言われています。

 

 

博多鋏の誕生

博多鋏が生まれた土地は福岡県福岡市博多区冷泉町。その一部は当時「箔屋町」という地名で、刀鍛冶や鋏、鋸を作る鍛冶職人が多く住む町でした。

博多鋏のモデルは、鎌倉時代に博多の地で日宋貿易に従事していた宗人 謝国明が宗(当時の中国)から持ち帰った鋏と言われています。その後、多くの鍛冶職人の知恵が集まっていた土地柄もあってか、江戸時代には一般家庭用として「博多鋏」が世に出回り始めたのです。そして廃刀令(1876〜)によって多くの刀鍛冶が仕事を失った時代にも関わらず、「博多鋏」は切れ味の良い、最高の万能鋏として博多の特産物となりました。

 

yukaさん(@lierre_yuka)が投稿した写真 -

受け継がれる伝統の技

「火づくり十年、研ぎ八年」とも言われる鋏鍛冶。一通りの技術を身につけるだけでも最低15年はかかると言われる鋏鍛冶ですが、これには鋏という特殊な刃物の形状に理由があります。私たちが何気なく使っている鋏は、包丁などと違い、2つの刃が噛み合い、てこの原理を利用して初めてモノを切ることができます。そして、両の刃を大きさ、硬さ、厚みを寸分違わず仕上げる必要があります。また、そこにやり直しは効きません。一回の研ぎ、一回の打ち込みの違いで鋏は使い物にならなくなるのです。そして先にも述べたように、博多鋏は万能鋏。全てのモノを切れ味良く切る必要があります。これを可能にするのは職人の腕のみ。したがって、博多鋏の裏表の両方を研ぐことができる職人は数えるほどしかいません。

そこまでこだわられた、伝えるのが難しいほどの技術を要す博多鋏は「研げば三代」とも言われ、手にした人たちに永く愛される一品となっています。

 

 

いかがでしたでしょうか?福岡博多の知られざる伝統工芸品「博多鋏」

使い捨ても当たり前な安価なモノが大量に溢れる現代で、手作りの良さをもう一度手にしてみてはいかがでしょうか?

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