カルチャー
2016.10.20(Thu)

古くからグローバルを意識した町?唐人町の歴史と魅力を紐解く!

このエントリーをはてなブックマークに追加

福岡市中央区に位置する「唐人町(とうじんまち)」。
物語を感じさせる地名ですが、その歴史はなんと弥生時代まで遡ることができるそうです。
ここでは唐人町の歴史や現在の街の様子、おすすめスポットなどをご紹介します!

唐人町、その名の由来は?

地名の由来については今のところ不詳ですが、江戸時代に福岡藩で作成された筑前国の地誌「筑前国続風土記」には「其始高麗人住せり」とあり、「筑前国続風土記拾遺」には「往古は唐船が泊まりしゆえ、如此名あるよし」と書き記されています。諸説あるようですが、昔から唐(中国)の人々がこの地に移り住んでいたようです。
その他にも唐船の寄港地だったこと、遣唐使が身支度を整える街だったという説もあります。

 

唐人町は中国との外交窓口だった?

唐人町の歴史を紐解くとかなり古く、弥生時代のころにまで遡ることができるそうです。
近隣国の中国との外交窓口として基礎が置かれ、飛鳥時代にはこの地から遣隋使が派遣され、交流地点としての発展には事欠かなかったようです。江戸時代になると、町の東側に福岡城が作られ唐津街道が整備されました。やがて街道には町家が並び、それらが商店街へと発展しました。

また学問を志した地でもありました。1784年、福岡藩七代藩主だった黒田治之によって「修猷館」「甘棠館」という二つの学問所が同時に開校。甘棠館(かんとうかん)は唐人町に住む儒学者「亀井南冥」の屋敷と隣接する地に、校舎が建てられました。ここから幾人もの志ある若者が世に輩出されました。
しかし設立後14年余りで大火に見舞われ焼失、 その後再建の見通しがつかず修猷館へと吸収合併、あるいは亀井南冥がその後立てた「亀井塾」へと姿を変えていきました。

 

みんなが知っている、あの飲み物の発祥地です!

地下鉄「唐人町」駅より北西へ約200m進んだ地点に不思議な黒い石碑があります。
多くの人が子供のころから親しんでいる「ヤクルト」の形をしています。唐人町はヤクルトの発祥地なのです。1930年に、京都大学医学部で微生物研究をしていた代田稔氏が「ヤクルト菌」を発見しました。その五年後、唐人町にて「代田保護菌研究所」を創業、それが乳酸菌飲料「ヤクルト」製造・販売の礎となったわけです。

 

唐人町は古くから人々が営んだ形跡があって、時代とともに姿を変えつつもどこか懐かしさをそのまま残した町です。
是非一度福岡にお越しの際は立ち寄ってみてください!

このエントリーをはてなブックマークに追加
関連キーワード