カルチャー
2016.10.11(Tue)

【フクオカhumanpedia】第4回「何もない、削ぎ落とした空間だからこそわかること」

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「フクオカhumanpedia」は、古くから商都として栄えてきた福岡の街を支えた、歴史上の著名な人物や、知る人ぞ知る職人たち、現在福岡の各分野で活躍している人々を紹介する連載コラムです。

第4回目に登場するのはコーヒースタンド「TAGSTÅ」のオーナー・橋口靖弘さん。
唯一無二のカフェを生み出してきた橋口さんが語る、福岡という街の今。

無機質だけど、どこか有機的、ここにしかない空気

天神から歩いて約10分の場所にエスプレッソスタンドがあります。一般的なカフェを想像してコーヒーを飲みに行くと、ずいぶん面食らうかもしれません。ここには、イスも音楽もランチもスイーツもありません。大きな時計がかかった打ちっぱなしの無機質なコンクリートの壁に、カウンターと小さなテーブルがいくつかあるだけ。(たまたま取材をした日は、展示会の関係でイスがありました)

「何でもそろうカフェが増えすぎたから、削ぎ落とした場所をつくりたかった」。店主の橋口さんはそう言います。

2000年前後、福岡は空前のカフェブームが巻き起こり、中でも今泉・警固・大名エリアには数え切れないほどのカフェがありました。しかし、10年後にも残っている店は、半分以下と言っても過言ではないほど、時代と街は様変わりしました。

橋口さん自身にとっても「TAGSTÅ」は初めての店ではありません。今から10年ほど前に営んでいたのは、北欧雑貨とエスプレッソを扱う「ダーラヘストカフェ」。未だにファンの間では惜しむ声があり、革新的かつ印象的な存在感を放つ店でした。単に北欧っぽいテイストやインテリアを少し取り入れただけでなく、メニューにも北欧ならではのジャム入りの肉料理があったり、音楽イベントも盛んに行ったり、文化を発信する唯一無二の存在でした。

全身全霊をかけてつくったものをクローズすることで開ける未来

しかし、転機は突然に訪れます。ある年、カフェのスタッフを連れて社員旅行に行き、帰ってきた途端、「来月で閉めよう」と思い立ったのだとか。「客入りも売り上げも右上がりだったんです。だからこそ、ピークの状態でやめた方が潔いんじゃないかなと思って。次のことなんて決めてなかったけど、ひとまずリセットすべきタイミングでした」と昨日のことのように振り返る橋口さん。

さかのぼれば、橋口さんにとって突然のひらめきは初めてのことではありませんでした。18歳で福岡に進学し、卒業とともに外資系のIT企業の仕事に就き、大阪・東京に暮らします。20代という若さでは手が届かないような売り上げや収入も叶え、順風満帆のビジネスライフだったそうです。しかし、やはりそういうときこそ立ち止まる謙虚さを持った人なのは昔からで、「今はいいけど、めまぐるしく変わる時代の中で、10年後20年後の自分はわからない」という思いが芽生えました。外資系企業では、実力主義での人事評価が基本なので、若くして稼ぐことも可能な分、吸収合併やリストラのリスクも付きまといます。人生設計を考えたとき、その波に乗り続けることが自分の進みたい道なのだろうかと自問自答。

答えは早々に出ました。東京で知り合った雑貨に強いビジネスパートナーを得て、2人とも暮らしたことのある福岡でカフェを出そう、と一念発起。最初はまだコンセプトもはっきり決まっていない状態でしたが、研究や買い付けのために巡っていた旅先でイメージぴったりのカフェに出会い、北欧をモチーフにしようと決めました。そこからはすべてがスムーズに進み、「ダーラヘストカフェ」の立ち上げからあっという間に福岡の代表的な存在になりました。

どこにも留まらず、何にも所属しない毎日の中で気づくこと

「ダーラヘストカフェ」をクローズしてからしばらくは、子育てに専念したそう。「それまでは店を言い訳にして、旅や勉強も後回しになっていたから、3カ月ぐらいバックパックで旅に出ようか、なんてことも考えたんですけどね」と笑顔で振り返ります。「子どもが小さかったし、僕を応援してくれた妻に寄り添いたくて、保育園の送り迎えや家事をやることが日課になりました。本当に短い間でしたが、いわゆる主“夫”な毎日を過ごしていたんです。いや、本当1日ってあっという間で、めまぐるしくって、これは本当に大変な仕事だなと」。

大きな気づきを得ながらも、いつまでもこれではいかんと奮い立ち、一時期は就職を考え、就職支援のエージェントに登録したこともあったとか。「僕は本当に就職しようと面接に挑むんですけど、この経歴で就職するのはもったいない、なんて逆に背中を押されちゃって」と照れ笑い。

その頃から少しずつ声がかかり、街で週末行われるイベントで、出張カフェをはじめることに。「ビルやショップのオープニングレセプションやパーティーに呼ばれることが多くなって、“1日だけの出張カフェ”という感じでいろんなところに出没していたんです。もう『TAGSTÅ』って屋号はつけていましたね」。コーヒーを楽しむということを極めるならスタンドバーでもいいんだなぁと漠然と考えはじめたのもこの頃。何となく2~3畳の物件を探すようになったそうです。

今の自分、今の福岡に必要なピースを見つけたくて

「ダーラヘストカフェ」もそうでしたが、誰かがつくった店の真似事ではない、自分だからこそできることは何だろうかと考えました。そして出した答えが、今の「TAGSTÅ」。朝7時から開いていて、当時はめずらしかった出勤前にコーヒーが楽しめるスポットとして注目を集めます。そしてイスもない、音楽もない、食事もない、削ぎ落とされた空間。「ダーラヘストカフェ」の頃のエスプレッソマシンとともに橋口さんが帰ってきました。

「以前の店とは雰囲気もコンセプトも違うから、まったくゼロからのスタートです。常連のお客さんもガラッと違うメンバーなんですよ。だけど、それでよかった。焼き直しでは意味がない。今の時代だからこそ、今の自分だからこそ、今の福岡にこそ必要な店をつくりたかったから」と愛しそうに店を見つめます。

他のカフェと一線を画すポイントは、ギャラリーを併設していること。ここは、「いくら家賃に困っても自分のアンテナにピンとくるアーティストの作品しか飾らない。日本でいちばんかっこいいギャラリーにしたい」と心に決めているそうです。実際、ここで行われる展示はいつも人を惹きつけるものばかり。ポップアートあり、タイポグラフィあり、有名無名問わず、橋口さんの心を震わせた作品だけが並ぶことを許されています。

「福岡に根を張ろうと思って帰ってきたわけではなかった」という橋口さん。だけど、この暮らしやすさや何でもそろうコンパクト感を知ったらもう他の街には住めないかも、と言います。春吉に出店した今でも、音楽イベントや街の大きな催事では出張カフェの依頼が後を絶たないため、福岡との密接度は増しているそうです。「旅好きだから、国内外問わず出かけたくもなるけど、暮らすならやっぱり福岡。でもほかのエリアの人が、旅先に福岡を選ぶとしてもとってもおもしろい街だと思います。僕はもう中の人だからその新鮮な感覚は味わえないけど」と目を細めて語ってくれました。

<店舗情報>
TAGSTÅ
住所:福岡県福岡市中央区春吉1-7-11 スペースキューブ1F
電話番号:092-724-7721
営業時間:7:00~20:00
定休日:不定休
HP:http://www.tagsta.in/

<profile>
橋口靖弘さん
はしぐちやすひろ●1974年生まれ。福岡大学工学部電気工学科卒。大学を卒業後、外資系IT企業で営業職として勤務。大阪、東京、横浜などに暮らし、第二の故郷である福岡にカフェをオープンしようとUターン。北欧雑貨とエスプレッソで人気の「ダーラヘストカフェ」は福岡のカフェシーンに多大なる影響を与え、惜しまれつつも閉店。その後、出張コーヒースタンド「TAGSTÅ」をはじめ、2012年4月1日に春吉に拠点を構え、ギャラリー併設のエスプレッソスタンド「TAGSTÅ」をオープン。早朝からコーヒーが楽しめる、アートや音楽の発信基地として、感度の高い福岡っ子の心を捉えて離さない。

●掲載内容は記事公開時点のもので、変更される場合があります。
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