カルチャー
2017.06.13(Tue)

【フクオカhumanpedia】第12回「まちに舞台をつくる人」

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「フクオカhumanpedia」は、古くから商都として栄えてきた福岡の街を支えた、歴史上の著名な人物や、知る人ぞ知る職人たち、現在福岡の各分野で活躍している人々を紹介する連載コラムです。

第12回目に登場するのは、“まちとひとの未来の発明家”と称して、様々な活動をしている下野弘樹さん。

下野さんには、飲食店や書店のオーナーやジュエリーデザイナーといった想像しやすい肩書きはありません。その上、その時々でやっている活動も変わるのでつかみどころがないと言われることも多いそうです。だけど、その流動的とも柔軟ともいえる下野さん“らしさ”は、福岡の“らしさ”とも似ています。きっとこれから描かれていく福岡というまちの未来とも大きく、そして深く関わっていく一人になるのではないかと想像させてくれるんです。

まちという舞台を通して人の未来を花開かせるきっかけに

下野さんの仕事を一言で表現するなら、これまでにない価値やアイデアを形にする“プランナー”が近いかもしれません。特にここ数年は「シェア」というキーワードを軸に、シェアオフィスを運営したり、イベントやコミュニティの主催者になったり、数々のプロジェクトを動かしてきました。

2016年には実験的な期間限定企画として、「清川リトル商店街」というチャレンジをしました。これは、新高砂マンションという集合住宅の1階の空きスペースを活用し、お店を持ちたいと考える人たちに1坪ショップを運営する機会を与える試みです。この時のキーワードを下野さんは「小商い」と決めました。そしてこの企画の成功を経て、2017年、昨年の企画をベースに「これまでの集大成」として取り組んでいるのが「清川リトルスタンド」プロジェクトです。

空間は「清川リトル商店街」と同じ、新高砂マンションですが、今度は下野さんが店主となって、クラフト雑貨やアクセサリー、お菓子などの作り手さんの出品する品物をセレクトして販売しています。クリエイターブランドのセレクトショップ&定期的にポップアップショップという形で、1日1,000円から出店が可能です。月に1度テーマを決めて展開するなど、進化していく様子も生ものならではのおもしろさがあります。

このプロジェクトの根底にあったのは、「このまちに住む人が主役になって、このまちという舞台の上で自分の夢を実現する、そのお手伝いがしたい」という思いだったそうです。

「僕は、まちという舞台にいろんな企画やコンテンツを仕掛けて、このまちに暮らす人とともにおもしろくしていく活動をずっとやってきました。それが僕の強みであり、ライフワークでもあるんです」。そう話す下野さんがここに行き着くまではどんな道のりだったのでしょう。これまでに残してきたたくさんの足跡も追ってみたくなりました。

やりたいことを見つけるまでの“失われた5年”の意義

ここでちょっと時計を巻き戻して、下野さんのこれまでを振り返ってみます。

長崎市に生まれ、福岡に出てきたのは18歳、大学に進学するためでした。「特にどの大学がいいというこだわりはなくて、自立するために県外に出ようというぐらいの気持ちでした」。とはいえ、学ぶことにおもしろさを見出し、経済学部のゼミで新興国の開発や教育について学ぶうちに今につながる問題意識を持ったそうです。

「生まれついた土地や環境によってやりたいことが実現できたりできなかったりする。人の人生は環境次第という部分も大きく、言ってしまえば人は公平じゃないんだということに違和感を感じました。何かが起爆剤になれば、人の想像力や可能性はもっと膨らませることができるのではないかという点に興味を持ったんです」。

大学卒業が迫り、周りが就職活動に励む頃、下野さんは「将来どうしようかな」と漠然と考えつつも、就職活動をしませんでした。「NPOに興味があったので、東京や大阪の団体を見学しながら自分が本当にやりたいと思えることを探そうと考えました」。NPOの活動をのぞきながら、フリーター生活を続けること3~4年、そこに焦りはなかったのかと尋ねると「どうにかなるさという根拠のない自信というか、感覚があって。それはきっと育ててくれた親の影響もあると思うんですけど、起こってもない悪いことにあまり目が向かないんです」と話してくれます。

大学卒業後、いろんなアルバイトをしているうちに「リゾートバイト」なるものを知った下野さん。「観光地の宿や施設に住み込みで働くから、家賃いらずでお金が貯まるんです。旅好きの僕にはちょうどいいかなと思って」とにっこり。ちょうどその頃、亡くなったばかりだったお母さんが行きたいと言っていたヨーロッパを旅してみようと思い立ち、1カ月半ほど旅に出たそうです。

一見自由に見える下野さんですが、「フリーター時代もどんな仕事でもいいやという考えではなく、一応ラインというか基準を決めていたんです。とにかく嫌いなことに挑戦しようと。例えば、電話で人と話したり、何か行動を起こさせることって難しいなと感じたからコールセンターとか、接客が面倒そうだからリゾートバイトとか。この数年にいろんな経験をしたことが実は意外と後々の財産になっているんだと思います」と振り返ります。

帰国後は、就職情報誌の編集や原稿制作の仕事に就き、契約社員として自分から提案したり、営業社員が喜ぶことを先回りして行ったりして経験を積みましたが、「いやいや、本当にやりたいことを探すための期間なのに違うことで頭角を現しては本末転倒だ」と立ち止まり、自称“失われた5年”にピリオドを打って、次のステップへ進むことを決意。

失敗したり壁にぶつかりながら見つけた自分の強みと新しい肩書き

いろんな経験を経て、「大学の頃に気になっていた“環境によって人の活躍の幅が狭められる場合があることへの違和感”は残っていた」という下野さん。NPOやコミュニティ、イベントなど興味のあることを勉強するために情報収集をはじめ、数々の勉強会にも参加します。そこで出会った1つ年上の青年が立ち上げようとしていたベンチャーに「僕もやります」と手を挙げ、参加。

「別に一緒にやろうと誘われたわけでもなく、自分から飛び込んだんです(笑)。おもしろいと感じたことには迷わず飛び込む。この時も会って3回目ぐらいでしたが、絶対やりたいと思ったんです」。幸い、スポンサーもつき、東京に拠点を構え、パートナーと下野さんの二人三脚でマーケティングや経営、営業、交渉など本当にいろんな経験をしたと言います。残念ながらこの事業は成功とは言えない結果に終わり、再び福岡に戻った下野さん。

「『また振り出しに戻ったな』と思いつつも、ある程度の手応えがあったんです。不思議と焦る気持ちはなく、失業保険をもらって、職業訓練校に行きながら次の一手について考えていました。知り合いの企業からの依頼を受けてプロジェクト単位で手伝いをしたり、企画を考えたりという機会があったので、もういっそのこと、プランナーとして独立しようかなと考えたんです」とさらり。

「完全にフリーランスという形にこだわらず、依頼があれば、企業に席を置いたり、契約という形をとる“複業”でもいいなと思いました。今でこそ働き方改革なんて叫ばれていますが、当時はまだそんな動きもめずらしかったので、『ないんだったらやってみればいいか』と自分が実験台になる流れに(笑)。予測できないことにおもしろさを感じるので、こうした実験的な働き方は性に合っていたんだと思います」。

複業スタイルで下野さんが残した足跡はたくさんあります。新聞社やまちづくりの団体とコラボしたイベントや「シェア」を切り口にしたシェアオフィスの運営、商業施設の福袋の企画など前例のない仕事がたくさん舞い込んできたのです。

「毎回新しい壁にぶつかりながら失敗ももちろんありましたが、その中で見えてきた自分の強みが3つあったんです。1つは『場所、いわゆる空間を活用すること』、2つ目は『そこにイベントやコンテンツなどのソフトを生み出すこと』、そして3つ目は『それらを継続させるための人の集まり、つまりコミュニティをつくること』。インターネットが普及して、時代が変わり、ベンチャーやフリーランスがいろんな価値を生み出しはじめていた頃ですから、これらの強みを持った人は他にもいました。だけど、この3つを掛け合わせて、場所や時代やまちにフィットする形にカスタマイズできるのは僕の強みかなと気づき、一時期は“シェアデザイナー”と名乗っていました」。

これまでの経験を引き出しに入れて人やまちの未来を照らしていく

経験が引き出しとなってまた新しい強みになる、それを繰り返しながら、下野さんは2015年以降、「小商い」というキーワードに着目します。自身も複業というスタイルで実績を残してきたからこそ、商売にもいろんなスタイルがあっていいんじゃないかという考えが根底に生まれたそうです。

「空きスペースを活用して、誰かの夢を実現するための舞台をつくり、自分がプロデューサーになって大まかな脚本を書こうと思いついたんです。舞台はまち、つまり空間です。キャストは夢や目標を持った人たち、そして脚本を書くのが僕です。『清川リトル商店街』では数人の店主が1坪という限られた店舗を出店して、思う存分自己表現をすることができました。そしてただの自己満足ではなく、観客つまりはお客さんの反応も見ながら、さらに喜んでもらうためにはどうしたらいいかというまさに商いに必要なサイクルができあがったのです」。

この企画は各所から注目を浴び、期間限定のプロジェクトとしては十分な実験成果が得られました。そして、2017年、再度仕切り直して「清川リトルスタンド」というプロジェクトに生まれ変わったのです。

「僕は来年、再来年、また何をやっているかわからない」と話す下野さん。

「だけど、変わらない軸があります。それは、『すべての人が創造的に自分の人生を生きる手伝いをする』ということ。そのための舞台をまちにつくっていきたいんです。それが今の僕の役目だと思っています。福岡というまちはスケール感よりバリエーションが魅力。小さなムーブメントが起こりやすい雰囲気があるんです。例えば福岡には世界的にも高く評価されるコーヒーショップが数多くありますが、これは最初からそうだったわけじゃない。優秀なバリスタが登場し、その刺激が波になって周囲にも優秀なバリスタを生み出し、それに引っ張られるように観客であるお客さんの見る目や舌も肥えてきたんだと思うんです。福岡をコーヒーのまちにしたのはこうした相乗効果があってのこと。僕はそういうムーブメントをつくっていきたい」。

つまりは、自分自身がまちと人とのハブになり、双方の未来をつくる手伝いをしていくということに他なりません。「まちづくりや人助けなんて表現されることもありますが、そんな大それたことではなくて、何より観客の一人である僕自身がもっとおもしろいことや未来やまちが観たい、ただそれだけなんです」。自分自身でも少し先の未来が想像つかない、それをおもしろいと感じる下野さんの、「絶対に今よりいい未来にするんだ」という前向きな気持ちが、周囲の人をそして福岡というまちの未来を明るく照らしていくのでしょう。

<店舗情報>
「清川リトルスタンド」
住所:福岡市中央区清川2-4-29新高砂マンション1F 清川ロータリープレイス内
営業時間:11:00~19:00
店休日:水曜定休(祝日含む)
HP:http://littlestand.com/

<profile>
下野 弘樹 さん
未来の発明家/全国リトル商店街ネットワーク/ふくおか小商い部部長
1981年長崎生まれ。東京でNPO支援のベンチャー企業を経て、2011年に福岡で独立。「まちとひとの未来の発明」をテーマに多分野で新規事業やプロジェクトを推進。多彩な引き出しとつながりを生かして、創造的なアイデアを実施するのが得意。最近は空きテナントや公共空間など未活用スペースを活用する「清川リトル商店街」を企画運営。小商いをキーワードにチャレンジできる場とコミュニティづくりを行っている。事業者・出店者・表現者にとって挑戦できる舞台をまちにつくるべく活動中。

下野弘樹図鑑(個人ブログ)
HP:http://shimonohirokizukan.com/

●掲載内容は記事公開時点のもので、変更される場合があります。
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