「フクオカhumanpedia」は、古くから商都として栄えてきた福岡の街を支えた、歴史上の著名な人物や、知る人ぞ知る職人たち、現在福岡の各分野で活躍している人々を紹介する連載コラムです。
第13回目に登場するのは、バーテンダーとして「Bar文月」を営む阿南文平さん。このバーにはメニューがありません。カクテルに使うリキュールもそう多くはないのですが、ウイスキーはたんまり用意してあります。
バーによく行く人もそうでない人もいると思いますが、バーに立ち寄る時ってどんな時でしょう。気の置けない友人と飲んでいて、まだ話し足りない時、仕事でうまくいったから一人でいいお酒をゆっくり飲みたい時、恋愛で立ち止まって考えたい時、まっすぐ家に帰りたくない気分の時といった感じでしょうか。お酒を飲むという行為は家でもできるのにわざわざバーに行きたくなる、それは相手が他人か自分かという違いはあれ、非日常の空間で対話がしたい時なのかもしれません。
阿南さんが初めてバーに足を踏み入れたのは19歳の頃でした。
高校卒業直前、「自分はなぜ大学に行くのか?就職という選択肢じゃダメなのか?」と考えていたところ、父親に「大学は勉強だけでなく見識を広げるところだ」と勧められ、進学を決めた阿南さん。その言葉に背中を押され、「せっかくだったら福岡以外の土地を見てみよう」と横浜の大学に進学。
福岡の郊外に住んでいた阿南さんにとって横浜の街は刺激に満ちていました。そんな都会暮らしを満喫していた1年生の春休み、2つ上のサッカー部の先輩から「もうすぐ就活が始まるからバイト先辞めなくちゃならないんだ。お前を代わりに紹介しといたから。嫌だったら半年で辞めていいぞ」と半ば強引にねじ込まれたのがはじまりだったそうです。
初日は見学がてらそのバーのカウンターの端っこに立ち、「バーとは何ぞや」を観察しました。今思えばその夜がターニングポイントだったと言う阿南さん。「まだ子どもみたいな若造から若いOLさん、年配の紳士まで年代バラバラで、医者や弁護士から学生、水商売の人まで職業もいろいろでした。それぞれ一人で来ているのに30分も経てば人生相談がはじまったりするんです。そんな光景、普通に生活していたら見ることないでしょ?すっかり衝撃を受けてしまいました」
大学の授業もそっちのけで、バーという新しい環境にのめり込んでいった阿南さん。「最初の頃は大してお酒をつくれるわけでもないので、カウンターでじっと立っている時間もあったのですが、お客さんが『地元は?』『なんで横浜に来たの?』『大学で何勉強してるの?』『彼女は?』と声をかけてくれるんです。そんな何でもない会話も楽しくて。ドリンクをつくらせてもらえるようになってからは見たことも飲んだこともないリキュールの瓶を覚えて、レシピを頭に叩き込むのも一苦労でしたが、それも楽しくて、向いていたんだと思います」と振り返ります。
結局そのバーに1年半勤めた3年生の終わり頃に、より本格的で格調高いバーに移りました。「私をバーの世界に誘ってくれた先輩が就活をはじめるタイミングで、私は新しいバーに転じるという不思議な偶然でしたね。当時同級生も就職活動をはじめていたんですが、どうもそれが私にはピンとこなくて」。
阿南さんは、教育学部に在籍していたので、小学校の教員の免許を取得していました。同級生の多くは教員になるか、一般企業に就職するかの二択だったそうです。「地元に帰って教師になってくれるはず」という母親の期待に背くことに少し罪悪感を感じつつも、大勢のレールに乗ることを拒んだ阿南さん、その後もバーテンダーの道を極めていくことになります。
結局大学を卒業してもいわゆる就職はせず、関東に暮らした約10年の間、横浜だけでなく川崎、目黒、代官山など5軒のバーで働いたそう。「街が変われば人が変わります。当然バーの雰囲気や空気感も違っていたから常に『もっとできるようになりたい、もっとこうしたらどうだろう』と好奇心が絶えることはありませんでした」。
転機が訪れたのは27歳の頃。いろんな店に勤めることでバーテンダーとしての経験や幅が広がり、いつしか自分の店を開きたいという夢が芽生えていました。「これまで築いてきた人脈やお客さんとのご縁を生かすなら関東で出店すべきだけど、今福岡に帰らなかったらきっと二度と帰れないな」と悩んだ挙句、阿南さんは故郷福岡へと移り住むことにしました。
「18歳の頃は、住み慣れた福岡より関東が魅力的に見えましたが、それから時間も経ち、福岡にも新しい商業ビルが増えるなどより魅力あふれる街になっていました。今の福岡になら帰ってみたいなと思えたんです。横浜で経験を積んだからきっと福岡でも通用するはずだという自信のようなものもありました」。
ところが福岡という街はいい意味で阿南さんの予想を裏切ることになります。「横浜で経験したことが生かせる部分ももちろんあったんですが、福岡って独特な空気感があったんですよ。カウンターを挟んで向き合うバーテンダーとお客さんの距離が物理的にも心理的にも近いんです。バーテンダーのキャラクターが立っているから、みなさん、店の名前よりも『○○さんの店に行こう』というノリなんですよね」
「これはすぐに出店するのは危険だ。自分の名前を知ってもらうためにも福岡でもう一度修行しよう」と思い立ち、再びバーに就職しました。それまでは30歳までに独立したいと考えていた阿南さんですが、ほんの少しだけ計画を後ろ倒しにせざるを得ませんでした。しかし、急がば回れ。この店で働いた経験ものちには糧となったそうです。
結果的には5年遅れの35歳で「Bar文月」をオープンさせます。名前の由来を聞くと、「自分の名前から1文字とったのと、月が好きだったのと、オープンが7月だったことが何となくつながってこれだなと。バーテンダーになった経緯もそうなんですが、これまでの道のりって大体はその時の流れなんです。好きなアーティストの歌詞で『成りたいものが在ったんじゃない。成りたくないものが在っただけなんだ。』というフレーズがあるんですけど、まさにそれ。だから自分の店を開くというのも人生の最終目標ではなく、その時の中間目標という感覚に近かった。5年後10年後はまた別のことをしているかもしれませんが、それも含めて楽しんでいきたいですね」
2017年7月でオープンから5年、今やこの街の顔と言っても過言ではない存在感を放っています。
「一軒家の2階、ちょっとひっそり隠れていて、通りすがりで入ってくるような店じゃないでしょ。わざとそういうところを選んだんです。この物件にも運命的に巡り合ったんですけど、そんな話だとか、あとは本や音楽の話をね、飲みに来てくれたお客さんとするのも楽しくて」。
阿南さんの運命を変えた最初の夜のような、人と人の人生がクロスする瞬間が夜な夜な繰り広げられています。ショップカードは本好きの店主らしい文庫本のデザインになっています。
「そうそう」と最後に1つ教えてくれたのは「知らない土地に旅をする時にもバーを訪れるといいですよ。バーテンダーはその街の今や人をよく知っていますから。私も旅先に着いた夜は、ガイドブックも買わず、アンテナを張り巡らせていいバーを探すんです」。「Bar文月」にも県外・海外からのゲストが多いそう。次に福岡を訪れる際には書を捨ててバーに出かけてみませんか。
<店舗情報>
「Bar文月」
住所:福岡市中央区薬院1-4-21 2F
電話番号:090-9386-7930
営業時間:20:00~4:00
店休日:日曜・不定
<profile>
阿南 文平 さん
1978年、福岡県生まれ。横浜国立大学出身。関東で5軒、福岡で1軒のバーに勤め、2012年7月に「Bar文月」をオープン。日により扱う酒が異なるためメニューを置かず、ウイスキーの品揃えに定評があり。一軒家の2階、靴を脱いでくつろげる木の空間で常連・いちげんさん問わず、リラックスできる雰囲気づくりを心がけている。